今週初めの8/21(月)と22(火)の二日間をかけて、みほちゃん(小3)・たっくん(小1)・おかあさん・ばあちゃんの4名が、富士山に登ってきました。
で、じいちゃんはというと、今回は後方支援要員です。
というのも、6/19の丹沢大山登山で、じいちゃんが真っ先にバテて、足手まといになってしまったもので。
大山は、はじめの予定では、みほちゃん・たっくんの富士山試験だったんですが、本人もまさかのじいちゃん予選会脱落でした。
けっこう元気だと思ってたんですが、やはりトシでした。
体力に自信をなくしてしまいました。
26年前(1991年)に、じいちゃん、ばあちゃん、おじさん(長男)、おかあさん(長女)の4人で富士山に登りました。
長男長女は、たぶん、小4と小2だったと思います。
みほちゃん・たっくんがまだ小さいので、安全策ということで、七合目で宿泊し、さらに用心して、3日目の8/22(火)は河口湖畔ホテルに泊まるという計画です。
で、じいちゃんは、サポートということで、全員の着替えや替え靴を持って、8/22(火)午後、横浜発の高速バスで河口湖駅へ向かいました。
予定では、じいちゃんが一足先にホテルへ入ることになっていましたが、3時に河口湖駅へ到着してら、すぐに4人も河口湖駅へバスでもどってきました。
当初予定より早く合流できて、ホテルへ。
[河口湖駅前]バックに富士山が見えます。
みんなの話によると、
・一日目は、五合目を11時に出発し、14時には七合目の山小屋着。
・二日目は、5時にご来光を見て、七合目を5時半に出発、9時には頂上着、頂上付近を少し歩いてから下山し、14時には五合目へ。
・ゆっくりゆっくり他の人に抜かれながら歩いたけど、最終的には、意外と早く山小屋や頂上へ着いた。
・山小屋のトイレが26年前に比べたら、予想以上にきれいだった。
[七合目山小屋からのご来光] 雲海の上に太陽が出てくれました。
[山頂一歩手前の鳥居]
[下山途中]天気が良くて河口湖が見えます。
あとから考えれば、二日目に横浜まで帰って来れたんじゃないかと思うんですが、ただ、事前にこれだけゆったりした計画を立てたんで、その余裕が登頂成功に結びついたんだと思います。
それに、まず、大山予行演習で、少数精鋭へ選抜したのが第一の成功要因だと思います。
で、登らなかったじいちゃんは、翌朝朝5時から、ホテル最上階で富士山を観察しました。
[5時半の富士山]朝陽があたってきれいです。
[6時半の富士山]あっという間に雲がかかりました。
河口湖で少し遊んで、お昼のバスで横浜へ帰ってきました。
日本一の山に登ったんで、みほちゃん・たっくんは自信がついたみたいです。
自宅へ帰ってきても、二人が元気いっぱいなのに、ばあちゃんは、筋肉痛でメンタームを塗り、マッサージを続けています。
部屋中がメンタームでツーンと鼻にきます。
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それにしても、外国人が多かったです。
河口湖駅前も、日本人より多かったかも。
高速バスに、小さな周遊バスやクラシックバスなどがひっきりなしに発着します。
そういえば、姫路城や金沢もこんな感じでした。
これが、世界遺産効果なんでしょう。